ジャリッ…。
白と紫のブーツが、小さな小さな石を踏む。
あたりにはその砂利を踏む音と、彼女がつけた多数の飾りがその腕の側でカラカラチャラリと音を立てるのみ…。
それ以外には音を立てるものは何もなく…あるとしても、時折カラスの鳴く声や、辺りを囲う潮の音くらいなものだ。
しかしそれもまたすぐに掻き消える…。
いつもは乗り物として使う箒をその腕に抱え…ゆっくりと土の感触を確かめるように足を進める。
確かめるのは道筋ではなく、ましてや足元の障害物などではない…。
土を、風を、変わる景色や、人の、自然の生きる香り…それらのすべてを確かめる。
感じたいのは息吹ではなく、歩みたいのは距離ではない…。
彼女がそこに辿り着いた時…『心』は時を越えていた…。
歩みは時を越えさせた。
『未来』の土地に『過去』を見る…今となっては誰もこの事を知る者はいないのだろう…。
身の毛もよだつあの出来事を。
柔らかな日差しのあの暖かさを…。
ようやく辿り着いた『そこ』であろう場所は、一つの生命も命を紡ぐ事が出来ぬような…どのような生命からもここで命を紡ぐ事を拒まれた場所となっていた。
足元には羽虫一匹すら通ることはなく…生命力たくましい、名も無き草すらここを拒んでいるようだった。
ここにあるのも命芽吹くであろう同じ大地であるはずなのに…。
土という物がここにある事を、すべてが忘れてしまったかのように…。
人々の生活が、笑いがここにあった事を…何もかもをすっかり洗い流してしまったかのように…。
世界は、時間は、人々は…『ハーメルの町』を忘れてしまっていた…。
(そしていつか…あたしも忘れてしまうのだろうか…。)
記憶はいつしか現実感を無くし、以前ついていた色は褪せるばかりだろう…そしていつしかその輪郭を無くし、すっかり消えて無くなってしまうのではないのだろうか…その為にかかる時間ならば、ゆうに持っている自信があった。
ここに…先の見えない命があった。

時を同じくし…少し灰色がかった水色のブーツは、辺りに覆い茂る名も無き草を踏み散らす。
あたりには鬱蒼と茂る森の木々…そのざわめきや耳元を通りぬける風の音、そしてその掻き分け進む自分の足音が響いていた。
だがしかしそんなことは彼にはまったく関係無い様子で、ずんずんとひたすら先に進む…。
さすがに木の根でつまづいたりはしないように、足元に注意を向けてはいるものの…どうもその足取りには緊張感などは感じられないように見て取れた。
そう、彼が注意を向けるのは木の根のはらぬ道筋ではなく 痕跡…。
足の進む先は道筋を決めておらず、辿り着きたいのは場所ではない…。
仰げども空には望む影は無く、見渡してみてもその『色』は見当たらない。
あからさまに表に出されたその感情。
しかしそれは自身の髪を掻く行動でどうにかなるものでなく、やはり辺りの痕跡を探す他は何も無い…。
小さく一つ鳴らされた舌…近くの木に掛けた左腕…奥深い森に開けた視界。
探し物はこれではない…そんな事は解っている。
見開かれた瞳…違った『色』が見事、藍を染めあげた。

この手の中には恵みの雨を含まぬ大地。
それは、もし音がするのならばパキリパキリといって砕けているのだろう…すっかり崩れて手からこぼすと小さなカケラと砂になって大地へ還える…。
この空気が自身の水分を奪っているのか、服を掴んで身を屈める…痛い…身が、心が、この胸が…。
ここにはもう何も無い。
はじめから何も無かったかのように…。
ここにはもう何も無い…。
(それでも…私達は居たんだよ…?)
この場所で笑い、涙した…。
記憶はとても鮮明で、思い返せば涙が伝う。
だけれども残酷なまでの時の流れに、忘却という特性故に、時の流れは記憶までをも流すのだろうか?
すべて忘れてしまうのだろうか?
そして、何も無かったような顔をして、心の中から消すのだろうか…?
  そして 私は  笑うのだろうか?
忘れない…。
忘れたくない…。
忘却に対する言い知れぬ恐怖…?
なんだか良くわからないはずなのに瞳からは涙がこぼれ、乾いた大地に吸いこまれた。

さ迷い抜いた道の行き筋…ようやく瞳は『色』を見つける…。
フラフラと、あたりをうつろう『ピンク色』…だが今はうつろうことをせず、ただただその場に立ち尽くす。
その魂でも抜かれたように。
道の真ん中に立ち尽くす。
「おい、バカ。」
そう呼んだのに反応が無い。
はじかれたバネのような反応が。
「何やってんだよ。こんな何も無いところで…?」
毎度毎度心配かけて…探すほうの身になりやがれ。
眉間にしわが寄った瞬間、両につく耳が何かを拾う…。
「何にも…無くないよ。」
…言ってる意味がわからない…。
あたりは木は元より草一本すらはえていなく…建物なんかもありはしない…足元に見えるものといえば、小さな影と俺の影…。
ここには何もありはしない。
「ここは…ハーメルの町…。信仰深いハーメルの町。150年前ダオスに滅ぼされたハーメルの町…。」
振り向いたひどく寂しそうな悲痛な笑顔…
「何にも…無くないよ…。」
呟いた。

さっきから…何にも無いのはわかってる…今は…そう、今はここには何にも無い…。
この時代では150年…こいつの時代でも100年間…でも、あたしにとっては傷が癒えるには早すぎて…。
まだ、あたしのなかの時間にはそんなに流れは経ていない…かさぶたになるのもまだ早く、傷口を隠す事で精一杯…。
すべてを受け入れるなんてまだ出来ない…。
「何にも…無くないよ…。」

「アーチェ!!ただいま!」
あたしが後ろを振り向くと、向こうの端から駆けて来た琥珀色が飛び込んだ。
勢いをつけすぎたせいか目の前で止まり切れなくてぶつかった二人はまとめてよろめく。
「うわっと…と、と。」
あたしの腕の中で息を切らせて呼吸を整えるその頬は、一体どこから駆けてきたのか上気していてかなり赤い。
すう…と一息吸いこむ音。
「…ただいま!」
駆けてくる事も、息を切らせる事も、おっとりとしたリアにはひどく不似合いで、なんだか微笑ましくなって笑ってしまう。
「うん、おかえり。どうしたの確か帰ってくるのは明日って言ってたと思ったのに?…ビックリしたじゃん?」
「ん〜…ちょっとね、どうしても早く渡したい物があって、急いで帰ってきちゃった。」
そう言っては肩をすくめチロリと舌を見せる。
「ほらっこれ!あんまりにもアーチェにぴったりの花だったから…おみやげ!」
背中の後ろに回された腕の影からジャーンという効果音付きで現れたのは一つの鉢植え…一輪咲いたその花は咲き誇りに咲き誇る。
「うわ〜…ありがと。…これ…あたしにピッタリ?」
一体どこがかはわかるようなわからないような…第一に花がピッタリなんて今まで言われた事が無い。
皆たいてい『ピンク色』とかその騒がしさから『お祭り』のようだとか…失礼しちゃうわよ!まったく。
「うん。ぴったりよ!あんまりヴェネツィアで見つけたそれが似合ってたものだから買ってきてしまったの。」
嬉しそうに話すリアはホントのはもっと大きかったんだけどね、と付け足した。
手元にある鉢植えで大体20センチ程度…もっとと言うのはどのくらいなのか…?
「なんかね、その花はいつも太陽に向いて咲いているんですって。大きな明るいこの花を見たらなんかアーチェのイメージにピッタリだなって…。ほんとはね、もっと大きい方にしようかと思ったんだけど、ちょっと大きすぎちゃって…。それにそっちは切花だったから枯れちゃうなと思って鉢の方にしてみたの。ちっちゃいけどね。」
「へぇ〜…でもあたし枯らしちゃいそうで恐いなぁ…。」
そうなのだ、性格上何事も不器用で、作る事よりも壊す事や失敗することのほうがなにかと多い。
だから今回も…。
「あら?でも花屋さんは強い花だから大丈夫って言っていたし大丈夫よ!」
一抹の不安が胸をよぎる…花の強さとあたしの忘れっぽさ…結構それが問題だ…。
「でも…。」
なおもなにか言いたげなあたしにリアは首をすくめるとそうね…と呟いて口元に人差し指を当てる。
「じゃあ、ここに植えておきましょうよ!」
こっちこっちと手をこまねいて、連れられたのは教会の裏。
なぜか興奮した面持ちでボソボソボソリと耳打ちを。
「…あのね、この花の花言葉にね色々あったんだけど…こう言う言葉があるんですって?まさしくあたしたちにピッタリなんだけどね…いい?聞いて。この花の花言葉はね…。」

    『永遠の友情』

目を大きく見開いたあたしは思わずゆっくりとリアの方向に向き直る…。
「それ…!!ピッタリじゃん?!」
「でしょ?だからコッソリこの教会の裏に植えましょ?」
イタズラっぽく笑い合う二人、こんなコッソリ花を植えようとしているなんてとこ神父様に見つかればお説教物だ…。
そんなの全然構わなかったけど。

 

でも…ここにはもう何も無い…。
神様なんか信じなかったけど…神に誓った永遠の友情…。
あたしとリアの約束の地…。
今は…何も無い…。
「ごめんね…。こんな話面白くも何にも無いよね。」
足元に伸びる二つの影…その形が大きく引き伸ばされてようやくあたしは長い間ここにいたことに気がついた。
「かえろっか?」
そう言って笑って見せるあたしに、こいつはなんだかばつの悪そうな顔を見せる。
そんな顔しないでよ…。
思う言葉は胸に秘め、なおも立ち尽くす影をグイグイ引っ張る。
「ほら!帰ろうってば!」
「あ、ああ…。」
だんだんとハーメルの町は小さくなって見えなくなる…。
砂に消されて見えなくなる…。
「あ。」
と、小さな叫び声と止まる足。
思わずつんのめってこけそうになるあたしの腕を今度はこいつが引っ張った。
「え?ちょっとどこいくのよ?!」
「いいからついて来いって。」
そっちになんか何にも無い…一体何年ここで暮らしてると思ってるのか、近道ですら無いここはハッキリ言って遠回り…。
そんなあたしの反論なんかちっともこいつは気にしてないでどんどん奥へと腕をつかんで離さない…。
「ほら…着いたぞ。」
そう言って、とん…と押された背中…開かれた視界…瞳を染め上げたのは燃えるような橙色…。
夕日がだいぶ傾いて空の色までも同じく染まる…日に透けて見える花びらがその濃さを増して目に眩しい…。
こんな場所なんて過去には無かった…もともとここには何も無い…なのに視界を一面さらうその花畑…夕日に向かう姿に、その形…。
「これ…リアがくれた…向日葵…。」
「もしかしたら…って思ってな。」
「でも、ここ何にも無かったのに…。」
「150年経って種がここまで流れてきたんだろ…。」
そうかな…?小さく聞いた言葉は強く大きく肯定される。

目に焼きついたその夕日に透ける花びらが、なんだか妙に懐かしくて、眩しくて…思わずつむったまぶたの裏に…どこまでも景色は広がった。
ただ…その焼きついた景色の中心…嬉しそうに花を抱く少女が一人…。
  『アタシ達の友情は不滅よ!』
なんだかリアの笑顔を見た気がした…。

「ありがとね…。」

誰に対して言った言葉か、向日葵畑はその言葉を聞き…ただひたすら優しげになびいていた…。

 

 

 

 

 

 


あとがき
はい、どうも〜霧夕です。
お題物no.14『花びら』いかがでしたでしょうか?
なんか数を書いているとどれも似た様なのに思えてきてしまって…。
そのせいで文体に変化を持たせたくて序盤すっごく悩み抜きわざと読みにくい感じとなっております。
時間かかった分はたして効果は出ているのか?!
ハハハ…とりあえず笑っとけ!!
え〜っと、元ネタはなんか花言葉からの連想でお話が作りたい!という気持ちからの発展なのですが…このひまわりの花『永遠の友情』の他にも『長い間温めた恋』という花言葉もあるそうです。
ますますアーチェさんにピッタリな気がするのはあたしだけでしょうか?
というか花言葉が世に多すぎて「間違ってるよ〜?」とおっしゃる方もいらっしゃるかと思います。
そこらへんはどうぞ目をつぶってくださいませ…(笑)
お花のことは詳しくないんで。
あと切花は趣味です。
でか過ぎるだろ!と突っ込みを入れた方々、良くないですか?ひまわりを抱えた女の子って。
でも多分きっとチクチク痛い…?
…。
ま…気にしないで下さいね♪

それではここまで読んでくださった方々へ
ありがとうございました!!
(2004・7・14UP)