はじめに気がついたのは、まず指先の痺れだった。
あとがき (2008/12/31 up)
「いっつぅ……」
眉間にしわを寄せながら痛む両手で上半身を持ち上げる。
ヒリヒリと痺れるその両平はちぎれんばかりの勢いで、何を触っても暖かいのか冷たいのか曖昧だった。
片側の頬がひどく痛む、足を滑らせたときにどこかにでもぶつけたんだなと思うと、ほんの僅かに息が漏れた。
ゆっくりと頭を見渡すように振り、じっと暗闇の先に目を凝らすと何もない闇からはだんだんと物の形が浮かび上がってきて、チェスターは形無くきらめく光に水の流れを捉えていた。
おそらくさっき自分がその手を浸していた川だろう、ぐっしょりとどちらのグローブも出来る限りの水を含んで自分のその手に張り付いている。
この洞窟に入る前に眺めた、全てが灰色に包まれた冬の曇り空。
さっき見上げた山に残る雪が解けて水になり、どこからか流れ込んでいるのだろうか?
どのくらいの時間手を浸していたかはわからなかったが、まだ戻らないその痛覚で、自分がかなり長い間水に浸っていたのがわかる。
なんにしても回りが見渡せない。
自分がさっき居たであろう場所を仰ぎ見る。
明かりが届かないところを見るとかなり深くまで落ちてしまったか。
道具入れの中をまさぐり、手探りで小さなランプとマッチの束を探し出す。
良かった、マッチは死んでいない。
どこまで目を凝らしても映りきらない闇の深さに、自分の全身が濡れてしまっていない事を幸運に感じた。
シュ……と僅かに焦げる匂いをさせて小さな明かりを器にうつす。
流れる水の上流からはいつ何処から来たかわからない枯葉が一枚目の前を流れ、白くたゆたう布に絡んで流れを止めた。
良く見知っているそのピンクの髪と、風貌に、チェスターは思わず声をあげていた。
暗闇に慣れてきたといっても程遠く、瞳は遠くのものを映しているからといって、近くまではっきりと見えているというわけではないようだ。
チェスターの倒れていた5m程先で、あの手の先だけでも凍るように冷たい水に浸かって、アーチェは頭を岸に向け仰向けにその身体のほとんどを川の流れに任せていた。
幸いな事に一見怪我は無いようだが、呼んでもまったくといって反応が無い。
チェスターは両方の脇に腕を絡ませ引き上げようとするが、見た目異常に川の流れは激しく、アーチェの身に纏っている衣服がまるで船の帆が風を受けるように水を受け、川に引きずり込まれそうになる。
冷たい。
彼女の背中から自分の胸元に、どんどんと冷たさが染みてゆく。
だがその身の芯に感じる冷たさは、そんな冷たさの比較にならぬほどにチェスターを震えさせた。
もう一度、ぐっと足元から深く屈みアーチェの胸の下で再び腕を今度はガッシリと握るように組み直す、下半身に力を入れ腰から自分ごと倒れこむように、滑る足を踏みしめなんとか地面に引きずり戻した。
ほっと気が抜ける反面、抱きかかえた彼女の冷たさに息を呑んだ。
「おい、アーチェ!しっかりしろ!!」
ペチペチと頬を叩く。
返事が無い。
普段であったならまず間違い無く喧嘩になって、最終的には大惨事を起こしておかしくないほどに、今度はさらに強めに叩いた。
「おいって!」
返ってこない返事に慌てて彼女を地面に寝かせる。
びっしょり濡れた手の平が全て自分の汗のように錯覚する。
紫色の小さなくちびるに手をかざし神経をその手の平に集中させると、もはやチェスターには川の流れる音も、天井から落ちる小石の音もなにも聞こえなくなっていた。
返ってくるはずの彼女の呼吸をただひたすらに探る。
返ってこない呼吸に視線を落とし、ようやく濡れた分厚いグローブに気がついて、チェスターは初めて自分が冷静さ失っていた事に苛立った。
水を大いに含んで膨れ上がった手袋に、小さな呼吸がわかるはずも無い。
チッと舌打ちをしてグローブを乱暴に脱ぎ捨てようとするが、手の平にしっかり張り付いて剥がれない。
ええいもう面倒だというようにアーチェのくちびるに耳を寄せ呼吸を探った。
もしこれが普段であったなら、眼下に広がるそれこそ正に谷の間、胸の『谷間』に視線を落としていただろうか?
それとも香りたつ彼女の香りに、呼吸もままならないだろうか?
なんにしてもそんな事を考える余地は今のチェスターにはかけらも無く、ただただ彼女の呼吸を探る事に意識を集中させていた。
すると僅かだが耳が小さく風を感じた。
息……している?
小さくではあるが、かすれかすれに呼吸の音が聞こえる!
よかった……。
そう胸を撫で下ろすのも束の間に、「ん……」という彼女の漏らす声が聞こえたかと思うと、チェスターの耳には大きな音ともう片側の頬に……。
「きゃあ!なにすんのよ、すけべ!」
……とてつもない衝撃が走っていた。
「だから……アタシが悪かったわよ。」
パチパチと音を立てながら燃える炎を目の前に何度そう言ってみても、むっすりと膨れたままチェスターは何も返事をすることなく、またしばらくしてはアーチェが謝っての繰り返しだった。
踊る炎の壁を挟んでみても、くっきりとチェスターの頬に赤く浮き上がる手の跡にアーチェは首をうなだれた。
チェスターが流木をパキリと割る音が壁に響く。
きっと昔は何か動物が冬を越すために住んでいた場所なのだろう。
手ごろな大きさのその窪みはいつかしらに人の手によって休息を取る場所となったようで、アーチェとチェスターがそこを発見したときにはすでに腰をかけるのに最適な大きさの岩が数個、そしてその中央には焚き火をしただろう火を始末した跡が残っていた。
(あったかい……)
手の平を炎にかざしてはまだ冷たい頬に押し当てる。
目の前では上半身裸になり黙々と木を割っては投げ込むチェスターの姿、普段中に着ている白のタートルネックは今、アーチェのすっかり冷えた身体をすっぽりと包み込んでいる。
ただ丈は少し足らないようで、丁度過激なミニスカートのようになんとか彼女の可愛げのある丸みを隠す程度だった。
足元にはアーチェがさっきまで着ていた服がなるたけ火の近くに並べられていて、その中にはチェスターのいつもの上着が胸元にだけ大きく染みを作り混じっていた。
ピンク色のボトム至っては十分に水を吸ったらしく少しも乾く様子が無い。
先程ちょっと待ってろと、カタカタとおかしいくらいに震える身体をアーチェは両腕で抱きしめて、足元に転がる小さな木切れで作った灯かりと流れない空気の溜まり場に留まっていると、ちらちらとチェスターの持っているランプの灯かりがくるりと方向を返して戻ってきた。
そして、こっちだと引かれて来た先がこの場所だった。
(なんか……こうして火を囲んでると思い出しちゃうな)
あの時纏っていたのはマントだったなと、アーチェは過去に記憶を巡らす。
(綺麗に並んだ刺繍の運針に、蓑虫みたいだなって言われもしたっけ)
濡れて濃さを増していた銀色の髪、さらりと零れそうなあの流れをアーチェは目の前のチェスターに重ねて眺めていた。
ぽたぽたと結んだ髪から流れる露が肩を濡らしていたが、なんとなくほどく気にはならなかった。
「んなとこ突っ立ってねぇで座れよ。」
ピクンと声に反応して我に返った。
蒼い視線は頬を赤くしながらまっすぐに自分に向いている。
「髪だってまだ水全然切れてねぇし。ほどかねぇといつまで経っても乾かないだろうが。」
おんなじだ。
『ん?これじゃ髪が乾かないじゃないか』
懐かしい声が頭に響く。
湿った髪が背中に広がるあの感触、すっと髪に差し込んだ指先から背中に伝うあの痺れ。
(あたし、なに考えてるんだろ)
ぷるぷるっと子犬が水を切るように意識をふるった。
「だってこの白いの短いんだもん。座ったら見えちゃうし、ほどこうにも腕も上げらんないよ。」
誰もお前なんか見ねぇよと、いつものぶっきらぼうな返事が返ってきたけれど、しょうがないなとチェスターはごそごそと袋から何かを探り出す。
「ほら、あんまり綺麗じゃないけど。」
ぺいっと小さな布切れが手の中に飛び込んでくる、小さいとは言ってもフェイスタオルより少し短いくらいの大きさだ。
皮だろうかなんだろうか?なにかとても柔らかい。
「いつも弓手入れしてる時とかに使ってる奴だから、くたびれてるし所々汚れてるだろうけど。何もないよかマシだったら膝にでも掛けとけ。」
そうか、使い込んでこんなにも柔らかいんだと手の平に収まったそれを眺めた。
ふいに心の中がざわめいて、深く考える事もなくアーチェの口から言葉が漏れる。
あの時、彼がもしチェスターだったらどうなんだろう。
「ねぇ、チェスター……。」
こくっとなぜか自分の喉が鳴る音が聞こえる。
「髪……ほどいてよ。」
ほら、はやくと急かされて、なぜだかチェスターはピンク色の髪を前にしていた。
自分でも出来るだろと断ったのだが、なぜだかチェスターは腰を下ろしたアーチェの背中を目の前にして立っていた。
彼女の濡れた髪が乾くにつれて放つ香りが辺りに深く漂って、なんだか眩暈がしそうになる。
青いリボンを手にかける。
ハラ……とはかない音を立ててリボンが解けてゆくのに背中がざわめくのがわかった。
濡れて一つに纏まった髪がアーチェの背中にばらりと舞う。
「……髪、広げないと乾かないんだ。」
梳かしてよという事なんだろう、指先を髪の束にゆっくりと差し込む。
グローブを外した指の股に水を含んだ髪が絡みつき、自分の指を通した先からぱたぱたとアーチェの背中に水滴を落とすと、冷たいのだろうかピクンと背中が小さくはねた。
指先を髪に差し入れては背中をなぞるように梳いてゆく、濡れた髪は先で絡まり引っかかる。
だがそこまで梳こうとすると、背を通り、腰を通り、彼女の小さな丸みの側をなぞっていく事になる。
ゴク……。
喉が鳴った音がアーチェに聞こえただろうかとチェスターは息を呑んだ。
パチパチとはぜる炎の音だけが辺りに響く。
差し入れるごとに指先が、だんだんと背中の中央から下へ下へと下がってゆく。
空気が重い。
頭がクラクラする。
髪を梳くという行為が永遠に続くような気がして眩暈がした。
限界だ。
「……もう、このくらいでいいだろ。」
ピンク色の髪の毛は背中を通り腰の手前まで綺麗に梳かされ、そこから下は一つにまとまって床に水溜りを作っていた。
「俺、ちょっと燃やす物探してくる」
アーチェが何か言いたそうにした気がしたが、チェスターは構わず足早にその場を離れた。
炎の側にはまだしばらくは十分な木切れが山になっていた。
15000hitキリリク『チェスアーでシリアス系』ということで書かせていただきましたこちらいかがでしたでしょうか?
シリアス…?チェスアー…?う〜ん……甘っぽさっていうかエロっぽさっていうか
久しぶりに書いてみたのでどんなものやら…。
小説の『真紅の瞳』より、同じような状況でシノンとチェスターを比べてみたかったというような話。
あんまり誉められた事ではないんだろうけどね;
個人的にチェスターを生殺しにしてあげたかったので
好き勝手書いたらこんな感じになりました。
…いいんだろうか、待たせた挙句キリリクがこんな自由奔放で;
このような感じになりましたが、こちらは15000hitを踏まれました福島 暁様へ…
だいぶ遅くなってしまいましたがよろしければお納めください;
こちらは福島 暁様以外の方は持ち出し禁止となっておりますのでご了承下さいませ。
それではここまでお付き合いくださった方々
どうもありがとうございましたv