足取りが軽い、軽い。
楽しくて楽しくて足がひとりでに駆けそうになる。
頭には大きなフードを被り、ズボンのベルトにはふさふさ尻尾のアクセサリー。
毛むくじゃらにした手の甲に、ほっぺたには立派なヒゲが3本。
爪先に至ってはそれらしく、自分の家でキチンと先を尖らせて切ってもらった。
今夜、僕は、オオカミ男!
煌々と輝く月の光を背に浴びて、道行く人を脅かし歩く。
今夜はハロウィン!そんないたずらも今日だけは怒られる事が無い。
くふくふと口元を綻ばし、ついには楽しくなって駆け出した。
あちらこちらの軒先で聞こえるあの言葉を僕は大声で高らかに叫ぶ!
「トリック オア トリート!」


その晩僕等は小さな頭を寄せ合って、道端の端で今日の功績を布に広げていた。
色とりどりの大きな飴玉をついつい我慢しきれずに1個口に放り込む。
濃い空色をしたその飴は、表面を大粒の砂糖で絡めてあり、夜の明かりのその下でキラキラと粒が輝いていた。
口に入れれば舌の上、味がシュワシュワ広がってゆく。
うぅん、これは『アタリ』だ。
ソーダの味が美味しくて、つい他の色も食べたくなる。
そして皆『アタリ』の情報には素早いらしい、ごそごそと探る袋から、同じような形の飴玉がひとつ……ふたつ……。
色は赤に桃色とさっきのソーダ、緑の色は何味だろう?
僕の獲物の中には入ってなかったその色が僕は欲しくて堪らない。
「ねえねえ、コレとソレ交換しようよ」
そんなやり取りをするために僕等は頭を突き合わせる。
お化けの絵が描かれた丸いクッキー、カボチャのパイにチョコマフィン。
街の中は子供の足じゃ広すぎて、分担を決めてまわっている奴らもいるらしい。
めんどくさがりのこの僕は、その言葉通りなんだかだんだん面倒くさくなってしまって、
ついには分担なんてまだるっこしいと足の届く範囲まで歩いては、手当たりしだい家のドアをノックした。
そんなわけで僕の知らない『美味しいお菓子』の存在が無いとは言い切れないのが現状だ。
みんな袋を広げて出てくるものは大体似通っているけれど、
どうやら歩きつめた甲斐はあったらしい、ほぼ大多数はまわれたようだ。
あとは……、『ハズレ』の処分市。
どうしても売れない1個が無くならない。
『大アタリ』には『大ハズレ』がセットでついてくるようで、
砂糖菓子で飾られたシュークリームのミニタワー、それと不恰好としか言いようの無い土の塊のような物がもう1個。
金髪のお姉さんからお菓子を貰って帰るはずが、なぜかもう1人に捕まってしまった。
「なんでミントのは貰えてあたしのは欲しいって言わないかなあ〜ッ?」
ズンと入り口の前で腕組みをしてにっこりと笑うその顔が異常に無気味で心底怖く、ついうっかり口から言葉が漏れてしまった。

『下さい』…と。

それが殺人級に料理が下手で有名な、ピンクの髪の魔女の作ったものとわかっていたはずなのに。
ついうっかり貰ってしまった。
それをひどく後悔した。
「食べたくないんだよなぁ……こんな不味そうなの……。」
ほぅっとついたため息が聞こえたか、背後からずいと覆い被さるように声がした。
「何やってんだ?お前等」
さらりと零れるなにかが頬を撫で、振り返ると丸い月を背に覗く姿は大きな影の吸血鬼!
「とっとっ……トリック オア トリートぉぉおッ。」
僕は今日何回言ったか知れないそのセリフを思わず叫びながら、
悔しい事に今日の獲物のいくつかを忘れ、全力疾走して逃げ出した。
心臓は激しく震え、それが走っているからだと自分に言い聞かせようにも体の震えが収まらなかった。
あれはきっと本物の吸血鬼だ。



所は変わり、暖かな部屋の中。
テーブルにこんもりと緩やかな山を作る巾着袋を眺めながらアーチェは腕組みをして大きくため息をついていた。
(さすがにちょっとキビシイなぁ……)
テーブルに残ったハロウィン用のお菓子、彼女の仲間ミントと一緒に作ったはずで、
なおかつ量も自分の方が少なめだったはずなのに、なぜだかこんなにも余ってしまった。
少し訂正をすれば少なめに作ったというわけでなく、もちろん当初は少なめに作る予定だったのだが
少し味を調整しては材料を入れ、入れ過ぎたらまた味を調整する為に材料を入れ……
そんなことを繰り返しているうちに、とんでもない量になってしまった。
決して良いとは言えない見てくれを、オーロラ色のラッピングで可愛く包み、小さなリボンで飾りあげた。
中身が見えて避けられてるわけでもないのに、大量にある砂糖菓子は一向に貰い手がついてゆかない。
はぁ……と小さく溜息が漏れる。
残ったコレをどう処分するか考えても、その量に我ながらアーチェは肩を落とした。
「いくらなんでも……こんなに食べきれないし」
ノックのされない目前のドアを睨み付ける。
(今だったら特別サービスでたっくさんあげちゃうのに……)
するとそれを察したかのようにドアをノックする音が響いた。
コンコンコン……
続いてカチャリと開いたドアから覗くのは、よく見知った蒼色の髪。
「よぉ」と軽く上げられる手に、何を言われたわけでもないが自然とアーチェの眉間にはシワが寄る。
「何よ?」
カシカシと結んだ頭を掻きながらチェスターは別にと言葉を続けた。
「別に……。何やってるかなと思ってよ。」
何をしているかといえば、目下のところはテーブルの上の売れ残りに頭を抱えていたところだが
そんな話を口にする気は毛頭なかった。
むしろそんな様子すら気づかれるのが嫌だった。
「全部売れたのか?子供達に配る菓子は?」
うるさいなぁ。
それなのにわざとわかってやっているのだろうか、触れられたくないそこの部分に触れてくる。
サッと隠した背の後ろ、脇から小さな巾着が覗く。
「うっわ……すっげぇ余ってんな!」
切れ長の目がさらに細くなるのを眺めながら
うるさいなぁ、ちょっと傷付いてるんだからほっといてよと心の中で毒づいて、また小さく溜息が出た。
「ちょっと……作りすぎただけもん」
ふうん、と小さく声が聞こえた。
「ま、お前の事だからどうせ作ってみたはいいものの誰も貰ってくれないんだろ?」
気持ちはわからなくは無いよなぁ、むしろわかりすぎるほどわかるぜと、
うんうんと頷く姿を目の前に自分の目も釣りあがっていく。
なにさ、またそんな憎まれ口言いに来たってわけ?
ほんっと女心とかわかんないんだから!
欲しいって言ったって絶対あんたなんかにあげないから!
ギッと睨むその視線がチェスターの視線と絡みあう。
多少たじろいだかのように見えた彼の視線は
何かを思い返したかのように雰囲気を変えた。
「っと……こんな事言いに来たわけじゃなかったな」
ぽりぽりと頭を掻きながら、ポツリそんな事をこぼす。
頭にあてられていた手の平が、アーチェの前でひらかれる。
ゴツゴツとした大きな手に、すらっと伸びた細い指。
「何よ?手なんか出して」
もごもごと言いづらそうにひとこと、目は天井を彷徨っていた。
「だから1コ……くれよ。」
さっきの今でどういうことか?
思わず面食らってしまったようで、喉からポンッと声の塊が「は?」と飛び出した。
「は?じゃねぇよ、は?じゃ。だから……1コ、貰ってやるって言ってんだよ。」
「えっと……」
どういうつもりだろう……そんな事を思いながらチェスターの顔をぼんやり眺めていると、色が段々と赤く変わっていくように見えた。
天井を見上げ、合うことの無いチェスターの視線が一瞬床に移る。
同時に差し出していた手が今度は両腰に当てられて、大きく溜息の音がする。今度は吸い込む息の音だ。
「だぁ〜〜っ!めんどくせぇなぁ!だから……」
ガリガリと額を掻き毟りながら、アーチェはさっきあの狼の格好をした子供から聞いたあの言葉を耳にする。

『トリック オア トリート!』

「……ったく、これでいんだろ!」
言い終わるが早いかパッとチェスターの腕がアーチェの腰を掠めてテーブルに届く。
ふわりとかかるチェスターの滑らかな髪と、彼の匂い、体温に一瞬アーチェは思わず目をつぶって怯んでしまう。
気が付けば、彼の手にはオーロラの包み紙。
アッと思うがもう遅い。ぴょんぴょんと跳ねながら自分のそれを奪還しようと試みるが、悲しきかな体格差、
目の前で高く掲げられた包み紙がだんだんと剥がされて、砂糖菓子が姿をあらわにする。
黒糖で作ったから色はあまりよくないが、いやもちろん形もそんな良いとは言えないが、味にはこだわって作ったつもりだ。
「返せぇ〜!!誰もっ!アンタなんかにっ!あげるなんてぇッ!言って、ないんだからねッ!!」
ぴょんぴょんと届かない腕の先に向かい飛び跳ねていると、ぜいぜいと息が切れてきた。
ふう…とひと時飛ぶのを止めた瞬間、チェスターの口がそれを予期していたかのように、ぱくっと砂糖菓子に噛り付いた。
「あぁっ!!」
パチパチと燃える暖炉の音と、暖かな空気の部屋の中、似つかわしくないボリボリという噛み砕く音。
ごくりと飲み込む音が聞こえた。
自分をじっと覗き込む赤い瞳に耐えられなくて、アーチェの頭というかほぼ額をポンポンと乱暴に叩く。
「なんだ、案外うまいじゃねーか」
ただどうしてもこれだけは性分で、後につい一言が出てきてしまう、要は余計な一言というもの。
「……見てくれはさすがというか、ほんっと死ぬほど悪いけどな」
そんな一言を受けて、自分の手の平に納まっているピンク色の髪がわなわなと震えるのをチェスターは感じる。
もちろん体制は既に退却の方向を向けていた。
「アンタってば……勝手に食べて、言うことが、それかぁッ!!」
わしっと手に一杯掴んだ飴玉を、アーチェは力一杯チェスターの方向に投げつける。
ひらっとかわしたドアの向かい、身代わりにしたドアには勢い良く当たる飴玉の音と、パラパラという砕けた音。
ふぅふぅと、真っ赤になって息をするアーチェをドアからひょいっとチェスターが上半身だけ覗き込んだ。
「ま、いいんじゃねーの?見てくれ悪くてもよ。」
ドキッと跳ねる心臓をアーチェは押さえる。なぜだろう、息が詰まる。
絡んだ二つの視線の先、切れ長の目元がにやっと笑った。
「土やら岩みたいなとんでもねぇ見た目でも、ハロウィンぽくていいんじゃねーの?本物の魔女の菓子みたいでさ。
いいと思うぜ?このひっでぇ見た目。」
さっき真っ赤になった顔が更に赤くなった音が耳の奥で聞こえたが、構わずアーチェは手をテーブルに伸ばす。
何が手に触れようが構わなかった。
皿が手に触れれば、結果それが当たっても構わないし、
コップが手に触れれば、結果チェスターが水びたしになっても構わなかった。
握った手元がガサリと音を立てたが、そんなことも構わずまたも力一杯掴んだ何かをチェスター向かって投げつける。
パシッと音が聞こえたチェスターの手の中に、オーロラ色のあの包み。
あっと思ったが遅かった。
「ちょ、ちょっと、それ返しなさいよ」
ピュウと聞こえる口笛に、ドアに駆け寄るが間に合わない。
「ごちそうさん。コレうまかったぜ」
バタンと閉まる茶色のドア、その手前に広がる色とりどりの飴玉のかけらを足元に
アーチェはゆっくりとドアを背にして足から崩れる。
床に散らばった飴達は少し勿体無かったけれど、キラキラと暖炉の光にちらついて
不思議となぜか美しかった。
「どうすんのよ……これ……」
見上げた視線の先、しゃがんだせいでオーロラの包みの山が更に大きく見える。
「どうすんのよ……」
手を当てた額の熱さに、アーチェはまたひとつ溜息をついた。

 

 

 

 


(2008.12.27up)