もう1週間程前から、ごく一部の前では密やかに何もないかのように穏やかな面を見せた台所。
その仮面を脱いだ部屋の中、ほおづえをつきながらアーチェはのんびりとお茶をすすっていた。
ミントの炒れてくれたアップルティーは香りのみでも甘く、さらに砂糖を入れると格別だ。
外の寒い風から逃れて飲む紅茶のなんと美味な事だろう。
一口のどに流し込むだけで身体がじんわりと温まり、硬くきしんだ指先がほぐれていく。
片方の手でほおづえをついたまま、右の手の平を目の前で握ってみたり開いてみたり、繰り返しているだけでもそれは十分に明らかだった。
ひょいと目の前に並ぶ褐色のお菓子の粒を取る、チョコレートだ。
さっきから、湯せんにかける前の刻んだチョコのカケラだとか、ボウルに残った余りだとかを目を盗む事すらせず堂々とご相伴に預かっている。
それでも食べていい所といけない所はキチンと理解していたので、別段咎められたりなどということは起こらない。
これだけでも十分に美味しいのだ、完成品を貰うクレスは幸せ者だという思いがアーチェの頭をよぎっていく。
しかしその完成品の試食を担う自分は更に幸せ者だ。
なにせアチラは『完成品』1つしか貰えないのだが、こちらに至っては『完成品』はもとより数々の『試作品』も味わう事ができるのだ、ただ「1つ」や「1口」に限られてしまうのだが。
粒揃いってこういうことかなぁ……なんて考えつつもう一口をほうりこむ、さっきとはまた違う味だ。
「アーチェさんは今年はチョコレートあげたりしないんですか?」
ミントがたまごの黄味のように黄色いボウルを片手に抱えながら聞いてきた。
その間もシャカシャカとボウルの内側をかき混ぜる手は休ませない。
部屋に蔓延する甘い空気の大元は彼女の腕の中、チョコレートと卵の黄味と何かのエッセンスが入ったところまでは覚えている。
更に言えば戸棚の裏だとか、食器棚の奥だとか、水道のシンクの下にも大元の元はあるのだが、今現在の甘い香りはボウルの中に集結し匂いは部屋に溢れていた。
「うん?」
少しだけしらばっくれる。
突然聞かれた質問。
だが聞かれるであろう内容の予想はここに来る前についていた。
というよりもこの季節が近づくにつれ予想はほぼ確信に変わっていた。
聞かれるだろう。
あとはいつ聞かれるかだけが時間の問題だったのだが、いつ聞かれようとも答えはもう決まっていた。
「あぁ〜……、うん」
『うん』という頷き1つ、あげるつもりがあるという意味か、はたまたそれともその逆か。
目の前でコクリともう一口カップを傾ける姿を見つめ、そのあまりにもありすぎる余裕から聞き返す。
「え?もしかしてチョコあげないんですか?」
「うん」
「あげないんですか?!」
アーチェが目の前で顎を引く、それで思わず前のめりになった事に気が付いた、ボウルからチョコが少しこぼれてしまっている。
いけない、慌ててミントはボウルを抱きなおす。
服にも少しついてしまった。
「どうして?」
腕に抱えたチョコレートに気をつけながら訊きなおす。
自分はこんなに前から楽しみにしていた行事なのだ、てっきり一緒に肩を並べて作るものだと思っていたのに。
どうしてって言われてもなぁアーチェは耳の後ろを掻きながら困ったように言葉を繋いだ。
「でも別に絶対チョコ渡さなくちゃいけない行事ってわけじゃないじゃん?欲しいから作ってって言われたわけじゃないし。しょうがないから貰ってやるっていうのもなんか癪じゃん?」
うはははは〜と笑い飛ばしながらどんどんと顔が赤くなる。
ゴクゴクとどんどんカップから無くなっていく紅茶をミントはじっと見る、最期の一口を残して言った言葉は
「それにホラ!あたしどうせ料理ヘタだからさ」
ほとんど決め台詞のようになってしまった言葉だった。
「チェスターさんきっとガッカリなさると思いますよ……?」
まっさかぁ〜と手前の空気を送る様に手を振って、尚も赤い顔でアーチェはカップの最期の一口をあおって飲んだ。
(まっさかぁ……)

 

 

 


あとがき
ということでしたー(笑)
うぃ。ちゅーことで今年の姫林檎はチョコ無しです。無いですともー!!
チェスターはせいぜい楽しみにしてガッカリしてればいいさーw
すいませんホントは余裕ないんでバレンタインなんていう乙女なイベントはスルーするつもりだったんですが
実際バレンタイン当日になってみたら書きたくなってきて書いてみたらそれっぽく書けたんでアップという無計画っぷりなんでなんか色々ゴメンナサイ^^;
チェスター的に「どうせあるんだろ?」で→実は無い
日が暮れるまで1日淡く期待しといて激しくガッカリすれば良いと思います。
それでそのガッカリを多少くらいでいいのでアーチェに悟られれば良いと思います。
来年とか、数日遅れてとか、作ってもらえばいいんでないでしょうか?

(2006/2/14 up)