(眠れない…)
白いシーツを蹴り上げて上半身だけ起き上がる。
隣ではミントがスゥスゥと、そのまた向こうではすずちゃんが音も聞こえない位の寝息を立てて眠っている。
「はぁ…。こんな事なら止めときゃ良かったなぁ…。」
小さくポツリと呟いて、事の起こりを思い出す。

それはつい2〜3時間前の事。
パーティの最年長者、クラースは精霊についてのレポートをまとめるとかで、食堂のテーブルを一つ借りて作業していた。
別にそれ自体は何も変わった事ではないのだが、いつも飲んでいるブラックのコーヒーがその時アタシにはとても美味しそうに見えて仕方なかった。
大人の味への憧れだった。
「ねぇクラース。ブラックって美味しい?」
そんなアタシの質問に、ふっと小さく笑顔を作ってクラースは応える。
「そんなに興味があるなら一つ頼んでみれば良いじゃないか。」
「う〜…ん…。だってさあ…ブラックって砂糖もミルクも入れないで飲むものじゃん?だから…。」
ああ…と一つ言葉をこぼして笑う。
「いいか?アーチェ。ブラックの良さと言うのはだな、苦味の中に隠された深みを味わう事なんだ。豆そのものの良さと炒ったその香ばしさは甘味が入るととたんにかき消されてしまうものなんだよ。」
ふぅん、とアタシは口先をすぼめて答える。
あたりは小さな宿の食堂と言う事もあり薄暗い中酒を飲むものや語り合うもの、各個人各々が静かな時間を楽しんでいる…、さっきからアタシの後ろのドアがきしみ、人が入って来ているのか外の風が強いのか特有のキィキィという唄を奏で、この空間に色味を差している。
「何だったら一口飲んでみるか?」
白い華奢なカップがカチャリと音を立ててこちらに向けられる。
「じゃぁ…ちょっとだけもらおっかな♪」
ガタンと椅子を引き、差し出されたカップを両手で包む。
出されてから少し時間が経っているのか生温かいそれは控えめに香りを立てている…大人の香り…ブラックの香り…濃いのか薄いのかわからない漆黒の水面には、覗きこむ自分の顔が映っている。
大きく香りを吸い込みカップに口をつける…。
…ゴクリ。
口の中一杯にあの香りが広がり、次いで想像した通りの味が舌の上に残る…深みでも香ばしさでもない、苦味だ。
「…うぇ〜ッ苦ぁ〜。」
大人の味の感想だった。
ハハハッとクラースは声を立てて笑う。
「まぁまだアーチェにはブラックは早いという事だな。」
投げられた言葉は座っているアタシの上を大きく通り過ぎる。
不思議に思い後ろを振り返ると
「旦那、こいつに味の深みなんて解る方が無理ってもんだぜ。」
憎まれ口を叩くアイツ…チェスターがにやにや笑いながらこちらを見下ろしていて、アタシはとたんにカチンときてくってかかる。
「ちょっとあんた!いつからここにいたのよ!!」
「さっきお前が旦那からカップを勧められたあたりから。大体俺は初めっから無駄だと思ってたんだよ。味オンチなお前にビミョ〜な味がわかるわけねぇっての。」
「なんですって!」
たしかに口の中は苦味ばっかりで香ばしさや深みなんてサッパリだった。
「どうせ一口飲んで苦いから止めるつもりだったんだろ?旦那から一口もらうのっては正解だったよな。」
とたんムカっとして、置きかけていたカップをぐい〜っと飲み干す。
慌てたのはクラース。
「あ、おい。まだ一口も飲んでないのに!」
ちょっと悪い事したかなとは思ったけど、それはまあ置いておこう。
ぷはっと大きく息を吐きチェスターを睨んで一言。
「あ〜美味しい。やっぱブラックは最高よね〜。ごめんねクラース、あんまり美味しいもんだから全部飲んじゃった!」
「お前それ絶対美味しいって飲み方じゃねぇじゃねぇか。」
「うっさい。」
「どう見たってただの一気飲みにしかみえねぇぜ?あ〜あ〜せっかくのブラックが勿体無ぇなぁ。」
「だ〜っ!!!うっさいうっさいうっさぁ〜い!!」
…とまあこんな所。

薄明るい光が窓からこぼれる。
一体今は何時だろう…。
アイツは今も闇にまぎれて弓を引いているのだろうか…?
あの時みつけたあの瞳で…。
そろりベッドから抜け出すといつも愛用しているブルームの柄を引き寄せる。
こっそり窓から抜け出す影を二つの月だけが優しく見送っていた。

 

キリキリキリ…ビシュッ!!カッ!!
宿から少し離れた林の中、月の光と明かりの為だけに点けられた焚き火の赤い光が木に掛けられた的と俺の横顔を照らす。
きっとクレスやクラースの旦那は深い眠りに落ちている頃だろう。
なんだかんだいって日々旅の生活はきつい所があるものに違いはない。
毎日少しづつ無理をしているようなものだ。
それは俺も例外じゃないが。
…現代から時を越えて未来に来た頃は自分の力の差に躍起になっていた。
躍起になって疲れた体に鞭打っては特訓を人知れずしていた…あの頃は。
小さく息を吸い込むとまた一本をつがえて引き絞る。
キリキリキリ……ビシュッ!! カッ!!
だが今は違う、もうあの頃のような焦りを感じる事はない。
それでもこんな所で弓を射ているのは、もう習慣になってしまったと言ったほうが良いのだろうか?
倒すべき敵はこの位では、と思っていると考えれば良いのだろうか?
それとも…ライバルに決定的に差をつけたいというのだろうか…、…いや…なんでもない。
もう一本、と矢筒に手を伸ばす。
…、精神集中というのでもあるかもしれない。
普段の街のざわめきや鳥のさえずりもこんな夜更けになるとウソの様に静まり返って、残る音は木々の葉がすれる音くらい…。
(いつも昼間は人一倍にぎやかな奴がいるからな…夜くらいは静寂に包まれているってのもまあ悪くない…か。)
口元だけがクスリと歪む。
またもう一本つがえては構える、耳元ではわずかに吹く風が唸り声を上げる。
キリキリキリ…ビシュッ!!カッ!!
毎日毎日の特訓で月の光に慣れてきたせいだろうか…、自慢じゃないが夜目だけはパーティで一番と言って間違いない。
木々の影に隠れるモンスターや野生の動物、わずかに眼の端に残る影ですら見落とした事は無く、見間違う事も無い。
だから…気づかれないようにと俺の視界の端にこそっと入ってきたピンク色なんて、暗闇から見つけ出すのは造作でもない事。
キリキリキリ…ビシュッ!!カッ!!
「…なんか用かよ?」
視線はさっきと変わらずに、的だけをじっと見つめて問う。
「なんだ、見つかっちゃったか。…つまんないの。」
ガサカサと草を掻き分け近づいてきたのは予想通りあいつだった。
弓を打つ手を止め振り返る。
「なっ…!おまえ一体どう言う格好してくんだよ!!」
目の前には…宿で借りたのだろう、白い薄手の柔らかそうなワンピースに似た寝巻きをまとうアーチェ…。
その首元などは大きく開いていて、もともと華奢なその体つきのせいか大きくかがめば今にも落ちそうに見えて仕方ない。
いつもは頭の高い所で一つに結わえているその髪が、今はさらりと下ろされ風になびいている。
思わず動揺してしまった自分を押し隠し、ばれない程度に息を整える。
そんな俺を目の前に、あいつはその膝下までのスカートの裾をつまんで首をかしげている。
「そっかな?いいじゃんどうせすぐ寝ちゃうんだし。」
そう言って少し後ろの木のくぼみに腰を下ろす。
俺は気にしないフリを装って矢筒にまた手を伸ばし的に向き直る。
どうやらこの目は暗闇でもよく見える特性のほかに残像効果も持ち合わせているらしい…。
さっきからあの首元や白いうなじが目にちらついてはなれようとしない…少しだけこの目を呪いたくなってきてしまう。
「…。そんな無防備な格好して…襲われても知らねぇぞ?」
キリキリキリ…ビシュッ!!カッ!!
「?大丈夫だって。ここのモンスター弱っちいし。眠たくなったらすぐ帰るつもりだから。」
ハァ…と、口の中で小さくため息が出た。
(バカ…。)

本当になんでこんな所にこいつはやってきたのだろう?
眠れないから とか、退屈だったから とかそういう事はわかる。
わからないのは『なんで俺の所にわざわざやってくるのか』だ。
別に話してやる事も特に無い…いつも騒がしいこいつが飽き性だって事も良く知っている。
なのに、さっきから黙々と矢を射る俺を、黙ってこいつは見ているだけ。
なんでだ?
街に戻れば多少の退屈は潰れるだろうに。
わけがわからん。
「ねぇ…?毎日こんなのやってるんだよね?」
とうとう退屈の限界が来たのだろう…ポツリ呟かれた声がパチパチと燃える焚き火の音とともに俺の耳に届く。
ああ…小さく答えつつ弓を引く
キリキリキリ…ビシュッ!!カッ!!
「ふうん…。」
…。
…。
キリキリキリ…ビシュッ!!カッ!!
二人の間に弓が風を切る音だけが響いていた…。
本当にわけがわからん…。

キリキリキリ…ビシュッ!!カッ!!
一体どれほど弓を引いていたのだろう?
焚き火にくべた枝ももうだいぶ燃えてしまい、その火の勢いはだいぶん落ちていた。
ここに来る時に持ってきた手ぬぐいも、もうだいぶ水分を含んでしっとりとしている。
(そろそろ帰るか…)
そう思って的に刺さった矢をすべて引き抜く。
「おい。俺はもう帰るけどおま…え?」
後ろを向くとそこには静かな寝息を立てて眠っているアーチェ…どうりで静かなわけだ…しかし。
(どこが眠たくなったらすぐ帰る、だ。おもっきし寝てんじゃねーか!)
ガックリきて思わずアーチェの前にしゃがみ込む。
「お〜い…。起きろって。んなとこで寝てっと風邪ひくぞ〜?」
ペチペチと頬を叩いてやるとうっとしそうに手をはたかれた。
まったく…そう思うと今度は本当にため息が出た。
目の前には幸せそうな寝顔の少女。
いつもは喧嘩ばっかりで、こんなにも近くでこんなにもちゃんと見ている事は初めてなのかもしれない。
自分のよりかは日焼けした…しかしそれでもだいぶ色白の頬にそっと手を当てると、少し寒いのだろうか嬉しそうにその手に擦り寄って来る…そう、まるで猫のように。
「まったく…そんなに無防備だと…本気で襲うぞ?」
冗談めいてアーチェのもたれ掛かっている木に両手をつくとその間で心地よい寝息を立てている少女に呟いた。
少しの間そうやってじっと寝顔を見つめていると不意にどこからか風が吹き、下ろした彼女のピンク色の髪を優しく撫でて行く。
シャンプーの香りだろうか…なんとも言えない柔らかなその香りがチェスターの鼻腔をくすぐって彼の頭を徐々に真っ白にしていく。
目の前の少女を見つめていると、いつも以上に心臓の鼓動がバクバクいっているのが手に取るようにわかった…。
そう…

手を伸ばせばこの腕の中に収める事ができる

近づけば、彼女の吐息を肌に感じる事ができる

さまよっていた視点がゆっくりと…そのさくらんぼのような半分開いている無防備な唇へと止まり…まるで引き寄せられるかのように優しく唇を合わせた…。

時が止まったかと錯覚しそうになるくらいの少し長いキスをして…、名残惜しそうに唇をはなす…。
少し熱っぽい瞳でその顔を眺めていると、う…んと腕の間でアーチェが軽く身じろぎをした。
「!!」
瞬間バッと、磁石の同極を合わせた時のようにはじかれる。
思わず自分の口を片手で覆うと、一気に耳まで真っ赤になっていくのがわかった。
…そう、こんな所で寝ているこいつを置いて行く事は出来なくて。
さっきはだからはやくこいつを起こそうと思った。
でも今は、起こす事が出来ない…だって…

近づけない 近づいたら自分が何をするかわからない

近くの枝を一本拾い地面にガリリと線を引く…。
こいつが、俺の、境界線…。
その線から向かい合わせた木の根元にどっかと腰を下ろすと思わず大きくため息が出た。
「くそ…眠れねえ…。」
真っ赤な顔の向かい側、アーチェの起きる気配はまだもうしばらく先のことで、今はまだ幸せそうな寝息を立てているばかり…。




あとがき(反転)
スケベ大魔王の称号を持つチェスター。お風呂覗くくらいで留まるもんか!と
ついお風呂意外も書いてみたいとやっちゃいました。
なんか書いてて異常に楽しかったw
ちなみにアーチェは超熟睡を希望…いつになったら起きるかなぁ?
いっそそのまま朝になっちゃえばいいと思うよw

ではここまでお付き合い頂きありがとうございましたv
(2004/6/7 up)