その鼻歌は知っている曲だった。
夜の酒場はいつもよりさらに照明が絞られ、
薄暗がりの店内はいつもとは違う空気に満たされていた。
ただステージだけが明るく、スポットライトに照らされて一人の歌手を浮かび上がる。
歌う度、動く度に汗すら煌めいているようで、自分を含め五人全員が
ステージ上のその姿を食い入るように眺めていた記憶がある。
そういえばあの曲はなんていうタイトルだっただろうか。
薄ぼんやりとそんな事を考えていると、自分と同じことを考えていたのか、
ピンク色の頭がにゅっと視界に割って入った。
「あったあった、そんな曲! 鼻歌だったらアタシもっ」
歩きながらミントが始めた鼻歌は、高く澄んだ音だった。
切れ切れに、だが穏やかにゆっくりとメロディーが流れてゆく。
目を閉じれば、あのステージの輪郭が浮かんでいたのだが、
一瞬にして子供の童謡に成り替わった。
頭の中の、ぼんやりとした輪郭のステージの壁に、
折り紙で形作られたチューリップや星がぽぽんっとくっつけられたように雰囲気が一変した。
メロディーだけはあっている。
いや、……そうとも言い難い。
「ありゃ? この先どんなんだっけ? 忘れちったや」
どうりで、と口を歪めてアーチェを眺めると、
アーチェはたははと頭を掻いてミントと視線を交わし、
お互いが見合う形でクスクスと楽しそう笑った。
なんとも、穏やかなもんだ。こっちまでなんだかほんのり口元が緩む。
「えへへ、なんて題名だっけ、コレ?」
ミントはその問いににっこりと笑顔を返し、答える。
「ふふ、この曲の題名はですね……」それなら俺も覚えている。
あのステージ上でのびのびと気持ちよさそうに歌っていた
あの曲の題名は確か……。



       『終わる事なき夢のはじまり』




日が落ちてから時間はどれくらい経っただろう。
夕暮れになって早めにとった食事がこなれてきたのか、
さっきまで感じていた重苦しさが大分楽になっていた。
部屋の隅からガタガタと椅子を引っ張って部屋の窓下に腰を落ち着ける。
ほんのりと闇色に染まった夜に、白い月が浮かんでいる。
しばらくそれを眺めていたが、そのまま両腕を枕のように組んで突っ伏していると、
眠気がとろとろと波のように寄せては返し、
このまま寝てしまってもいいかと眠りに落ちようとする度頭が反発した。
ふぅと息をひとつついて、腕の枕から頭をずらして位置を直す。
右を向くと首に違和感を感じ、左を向くと頬の位置が上手く収まらずに調子が悪い。
本格的に寝ようとするならここはベッドに潜り込むのが正解なんだろうけれど、
窓から吹き込む夜の風がほんのりと涼しくて気持ちが良い。
あれからずっと忙しい頭の中を冷やすにはちょうどいいくらいの風だった。
「あれ? チェスター、何してるんだい」
部屋のドアが開いて、自分の背後から声が掛けられる。
「なんだ……、クレスか」
「なんだとはお言葉だな。悪かったね、僕で」
ギシと窓枠が傾いた。
狭い。
「へえ、風が気持ちいいね」
そう言ってすぐに窓枠がもう一度傾きなおり、すぐに背後でベッドに腰を沈める音がする。
そうか、寝るのには丁度いいくらいの時間か。
カチャという音とパチンという交互に鳴る音を、耳が拾う。
しばらくそれをぼんやりと聞いていたが、
だからどうしたという事も無かったので再び自分の頭の中に意識を向けた。
昼に聞いたアーチェの声が、今まさに隣で発せられているかのように鮮やかに耳に蘇ってくる。



折り紙のお花で飾られた鼻歌の合唱がひと段落しての束の間だった。
「ね。すずちゃんの夢ってなに?」
これまた急に話を振る。
さっきまでミントと曲の題名の話をして
「そうそう! 『夢は終わらない』だ! あ〜、スッキリした」とか言っていたかと思えばだ。
話をしていたミントに振るならまだしも、
話題に入っていなかったすずちゃんからしたら、急に何? というものだろうに。
不要に気を揉んでいると、当のすずちゃんは話さずとも話には入っていたようで
「そうですね、私は立派な頭領になる事でしょうか」と間髪入れずに答えていた。
なんだ、自分の心配しすぎというわけか。
すずちゃんもいつの間にか他人との流れに慣れたものだ。
にっこりとその様子を眺めていると、人知れずふうと息が漏れた。
「ほぇ〜。そっかそっか、そういえばすずちゃんって次期頭領だったもんねぇ」
「はい。ですから里の皆に認められるよう、日々鍛錬を積まなければなりません」
横から見ていてもはきはきと、すずちゃんはアーチェの目を正面から捉え話している。
視線を正面から合わせるのは、自分自身に迷うところが無いからなのか、
それともあの髭のじいさんの教育方針なのか。
何事からも目を背けない強さがすずちゃんの中に宿っているようで、
今の歳からその強さがあればそれだけで十分に思えたものなのだが、
すずちゃんからしたらきっとそれでは足らないのだろう。
(こんな小さな子が、あの忍の里の次期頭領か)
立派な頭領なんて言っているけれど、この歳からどれくらいの努力を積めば、里の皆――
それこそ年齢も性別も、経験だって考え方だって様々な彼等が、この小さな子を認めてくれるのだろうか?
わからない。
自分が想像しただけでもしきれない、底の見えない努力の先に彼女の夢はあるようだ。
思わずゆっくりと数歩すずちゃんに近づき、なだめる様に優しく、細い柔らかな髪をぽんぽんと撫でた。
すずちゃんは今でも十分やってるんだからという思いを込めて。
小さな頭はわからずにこちらを振り向いたけれど、そんな事はどうでもいいことだった。
そんな中アーチェがにぃっと笑う。
「じゃあさ、頭領になったら次はどうしよっか?」
(はぁ?)
口から盛大に漏れそうになった。
立派な頭領になる事で、恐らくすずちゃんの頭は精一杯だ。
いや。多分頭領になった後も――。
「次、ですか?」
「うん。そう、次。何になりたいとか〜、あとは何がしたいとかさ!」
怪訝な顔。表情があまり出ないすずちゃんだけれども、それがなんとなくわかる。
わかりづらくはあるが、小さく眉間にしわを寄せて、小首を傾げた。
小さな口を、曲げた人差指でふたをして、少しした後その手を放す。
「皆に認められるような頭領になる、まずそれ以外には私には考えられません」
その言葉を聞いて頷く。
多分、そう言うと思っていた通りの答えだった。
「ふうん、そっかぁ」
何が「そっかぁ」かはわからない。
なんとなく、ムッとした自分もわからない。
すずちゃんが一つの夢を追いかけるという事が、彼女の一途さから来るものなのか、
それとも、小さな頃から(今でも十分小さいけれど)そう教え込まれて浸りきった
自由の利かない考えに縛られているからからなのかもわからなかった。
「そういうアーチェさんの夢こそ何なんですか?」
「あたし?」
そう言ってうふんと口元を綻ばせ、さっきすずちゃんがしたように口元にふたをする。
「そうだなぁ……」ゆっくりと空を視線が仰いだ。
「へへぇ、あたしはやっぱり『可愛らしいお嫁さん』かなっ!
あ、でも色んな所にも行ってみたいし、美味しい物もたっくさん食べたいかも」
「そりゃまたえらく難しい夢だなぁ」
そこまで聞いて傍観者を気取っていた自分だったがつい口を挟んでしまった。
いや、これが挟まずにおられるか。
キッとアーチェがこちらを振り向く。
「いったい世界中どこ探せば、お前みたいなガサツで料理も出来ないバカを嫁に貰ってくれる奴がいるんだよ」
まったく、ハーフエルフという長命をもってしても難しい問題だ。
「うっさいなぁ、誰もアンタなんかに話しかけてないんだから話に割り込んで来ないでくれる?」
「だってよ、他の二つにしたって夢ってよか、ただの願望だろ?」
美味しい物がたくさん食べたいなんて特に、日常的によく言っているのを耳にする。
それって『夢』って呼べるのか?そう口にすると、への字に口を曲げたアーチェが反論をしかけた。
「じゃあさあ言うけど、『一生に一度でいいから美味しい物が食べたい』だったらどう?」
「そりゃまぁ、……夢だな」少し考えて頷く。
「でもさ、一生に一度だけじゃあたしは満足できないもん。
一度じゃなくて二度、二度じゃなくて三度、何回美味しい物が食べれたかなんて回数じゃないじゃん?
だったら『たくさん美味しい物が食べたい』っていうのもアリじゃん?」
「なるほど」と横ですずちゃんが頷く「アーチェさんは夢を沢山お持ちですね」
(いや、なんかそれ違うぜ、すずちゃん)
嫌味でもなんでもない素直な感想にアーチェはヘヘヘと頭を掻く。
「ちょおっと思いつかないけど、まだまだ。夢なんていくつあってもいいもんだしさ?」
照れて笑っているのか、ほんのりとアーチェの頬が赤い。
俺はといえばさっきの言葉に「それって屁理屈じゃねぇの?」という表情を押し出し、
わざわざそれが見える様にアーチェの前に立った。
「何よ、その顔。なんか文句でもあるわけ?」
「いや、別に」なんて言いながらも本心は文句が大ありだ、ありのありの大ありだ。
「そういうアンタこそ夢って何よ」
「は〜ん……」そう来たのならば決まっている。
アーチェが怒りそうな、その言葉が、つらつらと自分の中から湧き立ち、
口を滑るように言葉多が溢れた「そうだなぁ、俺の夢は……」
けれど口にした夢は『夢』じゃない。
そんな事願ってなんか、いない。



「なあ、クレス」
ゆっくりと埋めていた腕から頭を起こし振りかえると、
プロテクターをあらかた外し終え、ようやくその重さから解放されたクレスが、
首と肩との付け根に手を添えて首を回して「うん?」と振り向いた。
「お前、夢とかってあるか?」なんて、子供じゃあるまいし。
口がはじめの言葉を探して形を変える。
「なんだい? チェスター」
自分で話し掛けておいて、しくじった。
言葉にできる程には固まっていないモヤモヤを、なんとか上手く言葉にしようともがいていると、
「もしかしてお昼にアーチェを怒らせたのを気にしてるのか?」とクレスは勘違いをしたようだった。
「まさか」それだけはなによりも早く口をつく。
そんな事気になんかしていない。
むしろ怒るように『間違ってもお前みたいなのじゃない美人の嫁さんでも貰う事かな』なんて
夢でもない事を言ってのけたのだ。
もちろん、アーチェは当たり前のように怒ったが、それ自体別に気に留める事でもなかった。
そんな事じゃない。
気になる事は別にある。
(夢、か……)
モヤモヤは結局まとめきれずに、違う形でようやく重たい口が開いた。
「お前さ、現代に帰ったらやっぱり親父さんの道場さ」
多分、予想していた話とは違ったものだったからだと思う、
クレスがきょとんとした顔をしていた。
「どうしたんだい急にそんな話して?」
俺自身もどうかしたとしか思えない。
わざわざそんな話を聞いて回るのも、おかしい。
「いや。なんとなく……もっかいその後の事も聞いてみたいと思ってよ」
少し不可解な様子で息をついて「もちろん道場は復興させる」とクレスは答えた。
まっすぐな視線だった。
「そして父さんがしていたように……いや、それ以上にアルベイン流を広めたいと思ってる」
夜なのに、太陽や明かりでもないのに、クレスが眩しかった。
目が眩むほどに。
目が自然と細く、顔がわからないくらいだが確かに歪んだ。
それがばれない様に「だよな」と頷き返し、
濁すように「俺も及ばずながら力になるぜ」なんて言葉を続けると、
目の前でクレスは屈託なく「ありがとう」と笑った。
眩しすぎた。
眩しすぎて、瞬きをするふりをして、目を閉じた。
眩しくて、真っ直ぐで、少しだけ羨ましかった。
クレスにも『夢』がある。アーチェにも、すずちゃんにも『夢』がある。
じゃあ、俺は――?
「なんだよチェスター、急に」
俺に『夢』なんて――。
ああしたいとか、こうしたいとか、そんなものがあっただろうか……。
目の前で笑うクレスがやっぱりなんとなく眩しくて
「悪ぃ、変な事聞いたわ。なんでもない」とふいと顔を背け、もう一度腕の中に顔を伏せた。
窓から冷たい風が吹く。
夜に吹く外の風が、
少しでも自分の中のゴチャゴチャしたものを攫っていってくれればそれでよかった。













あとがき(反転)

タイトルとゲーム中の曲『夢は終わらない』から。
テーマ性のあるのを書きたいなと思っていて、夢かぁと考えてみたんですが、
チェスターって夢とかって無いんだろうなと思って。
毎日を忙しく過ごしている内に夢を見る事自体も忘れちゃってるんじゃないかなと。
どっちかっていうと自分の事より先にアミィちゃんの事を考えてそう。
でもやっぱりずっとそう人の事ばっかりで生きていくんじゃなくて、
自分の事を思って生きていってほしいなぁという願いなんですが;
こういう事がきっかけみたいになって、夢というか自分のしたい事(たとえば孤児院とか)を
見つけていく事に繋がっていくのもアリなんじゃないかな〜とかいう妄想です。
どうなんでしょうね。
文章中の『夢はいくつみてもいいんだし』的なのは、まぁ好きで入れた文章です;
やりたい事一杯見つけて、一杯やってみるといいよ。
でも夢だけじゃなく、ちゃんと現実も見なきゃ駄目だけどね。

それぞれがみんな、自分のしたい事をちゃんと見つけていければいいなと思います。



ではここまで長文お付き合い頂きありがとうございますv

(2009/05/10 up)