あとがき のんびりと銭湯の湯に浸かりながら こんな感じですが楽しんでいただけたら幸いですv (2010/1/13 UP)
浴場のドアに手をかけて、それを真横にスライドさせると眼前にもやが広がっていた。
深い霧とはまた違う、もうもうと広がる湿気の海。
ドアを開けると同時、冷たい空気と入れ替わるようにむあっと湯気が押し寄せて、
頬に生える産毛一本一本に重たい湿気があっという間にからみ、まとわりつき、
どことなく皮一枚重みが増した様な気さえする。
温かい空気がドアから押し出される様に、順に顔にぶつかってきたけれども、
それよりもきつく締めすぎたバンダナの圧迫感が勝っていて、
ほどき、解放され、あらわになった額が今はほんのりと肌寒い。
自分のトレードマークでもあるバンダナは元より
プロテクターも衣類も全て脱ぎ去って、今はただ身体がひとつ。
申し訳程度にタオル一枚を片手にし、もやの中へと片足を滑らせる。
数歩先もがぼんやりと見える程度のおぼつかない白い空間の中、
旅中の濃い霧の中、目を光らせる時のほんの爪先もの緊張感もそこには無く
ただ足先を洗い場へ向け歩を進ませる。
ひたりひたりと触れるタイルの温度が足の裏にただ冷たい。
濡れた床の温度を楽しむようにすいすいと歩き、突き当たった腰かけにそっと腰を下ろした。
目の前には大きな曇った鏡。
片手を伸ばして表面を撫でると、そこには疲れた自分の姿が
木製のちんまりとした腰かけにちょこんと乗って映っていた。
「ふぅ」
ぐりぐりと首を回す。
鶏の軟骨を噛みしめた時に似た音が一回鳴って、
コリコリとした小さな音が首を回す度に決まった位置から鳴り響く。
相当に疲れが溜まっているようだ。
両手をグイッと天井に向かって大きく伸ばし、そのまま手元にあるコックに手を添える。
何のためらいも無くコックをひねると、
シャワーノズルから噴き出した湯は勢い良く髪を濡らし
ふんわりとした髪のかさをあっという間にぺったりと無くしてしまった。
掻き上げるように頭に手を差し入れてそのまま流れるような動作で顔面で湯を受けた。
泥と、汗と、ほこりと。
何もかも、身体にまとわり付いた汚れも疲労感も一気に湯に溶け流れてゆくようで
思わず心地良さに身をよじる。
温かな、湯の温度が心地良い。思わずほぅっと色気めいた吐息でも漏れそうだ。
「なんだぁ、クレス。随分とお疲れじゃねぇか」
両目じりに残る水滴を左右の指の腹で拭い肩越しに振り向くと、
なじんだ顔が湯に浸かりこちらに片手を上げていた。
「なんだ、チェスター居たのか」
良く見るとかなり前からいたようで、もうもうと立ち上る湯気のふもと、
チェスターの顔色は普段の顔色よりかなり血色がよくなっていた。
よほどの時間湯に浸かっているようだ。
「なんだとはなんだ。居て悪いかよ?それこそお前の来る前からの先客だぜ?」
まだまだのぼせてはいないようだが、湯船の端の冷たい大理石から肘だけだが乗り出している所を見ると
そろそろ限界が近そうに思え、クレスはほんの少しだけ、苦く笑う。
「うん。そうみたいだね」
すっかり身体を洗い終え、肩をすくめつつチェスターの浸かる湯船に近づく。
チェスターの入っているその湯船は、浸かるチェスターをも飲み込む勢いで白い湯気が立ち上り
一見するだけで温度が高く、入ろうものなら飛び上がりそうな程の温度のように見受けられた。
そっと湯の中に爪二つ分ほど差し入れた。
「…ッ!!」
指は水面を弾き、声は天井にぶつかり反響する。
「チェスターお前よくこんなのに入ってられるなぁ」
投げかけるとチェスターは「そうかぁ?」と両手にたっぷりと湯をすくい、
「要は慣れだろ」と恐ろしい事にまだ風呂の湯の温度に慣れていない肌に向かって
両手になみなみと溢れる熱を次から次へクレスへとぶちまけた。
背中がバネのようになるとはこの事だ。
風呂の温度をみる為に屈めた背中が反射的に反り、クレスはひときわ高く飛び上がった。
そして追いうちをかける様に追ってくるしぶきから逃れようと「アチ、アチ」と背中や胸を必死でさする。
熱湯。
それは彼の温和な瞳を細くさせるのには十分過ぎる理由だった。
バチャバチャと一直線に一番近い洗い場に向かって駆け出すが早いか、
ガッと水色の印が付いたコックを掴み、吠えた。
「やったなチェスター! 許さないぞ!」
片手に蛇口を、もう片手にシャワーの本体を掴む、冷水のコックをひねる事に迷いなど微塵も無かった。
その手首にかかるクッという抵抗と共にシャワー口からは先程の湯の何倍もの勢いの水が吹き出す。
目には目を、歯には歯を。熱湯には――冷水を!
迷うことなくチェスターの顔を目がけ冷水を彼にぶちまける。
「ヒッ」だが「ギャッ」だかはわからなかった。
けれど小さく叫び声が上がったのに反応し、ざまぁみろと口端がイタズラ気味に持ち上がった。
水流が辺りの湯に落ちて、わずかなしぶきが足元に跳ねる。
けれどあちらは飛び跳ねず、水から逃れる様に肩を風呂の湯にドボンと埋めた。
「わッ、ちゃッ、ちょ冷てぇ!! わかった、悪かった! 悪かったって!!」
潜り続ける事の出来ないむき出しの頭を狙い続ける。
チェスターの口から『もうしない』という言葉が出るまで、
彼は冷水の勢いを止める気は微塵も無いようだった。
「まったく……チェスターのせいでお風呂に入る前に体が温まっちゃったよ」
周りに人が居ないのをいい事に、散々湯と水とをかけあった二人がまだ変わらずそこにいた。
クレスが足先から順に、じんわりと自分を取り囲む温度差に身をゆっくりと沈めてゆく。
先程は飛び上がるほど熱かった湯の温度が今ではそれほど熱く感じない。
熱かったのは表面だけかとそう口に出すと、すぐ横で自分を見上げる青い髪が
「お前、どれだけ俺に水かけたと思ってんだよ」と呆れた口調で言い放った。
「とっくに風呂なんて水で埋められてるっての」
一瞬の、間。
丁度良い空白に隣の浴室からのカポーンという小気味の良い音が響く。
それと同時に、あ、とクレスの口がポカンと開く。
腰までつかった湯の温度がどんどんと腰から肩へと登ってゆき
あれよという間にクレスの顔をボッと血色の良い、つややかなものへ変えてしまう。
次いで口の回りも悪くさせたようで、なぜか汗だけがやたら頬に浮かんできた。
「はは、…ははは。い、いやぁ、まぁでも」
真っ赤になりながらも口は動く。
「あん?」
「入るには……うん、ちょうど良い温度になったと思うよ」
そう言って、クレスは胸までの位置でピタリと沈む事を止め、頭を掻いた。
肩の辺りがむずがゆい。
その間の空白。今度はチェスターがポカンと口を開け、呟いた。
さも呆れたかのように一言だけ。
「お前なぁ」と。
風呂場でぎゃあぎゃあわめく二人を妄想し思うままに書いてみました。
英雄だか勇者だかなんだか知らないけれど、このくらいの子供っぷりもあっていいと思…う。
うん? 子供すぎるでしょうか?
まぁ、二人きりだからこのくらいになれるという事で。
他に誰か入っていたらもちろん二人とも大人しく入っているとは思います。
きっと、恐らく、多分……。