もういいかい

  まぁだだよ

さっきから激しく自分の胃が空腹を訴える。
ダメだ、そんな音を出したら見つかってしまう。
そう思い、生き物のように鳴り響く腹の虫をどうにかして押さえつけた。
けれど少し……、僅かに望む。
(はやく見つけてくれないかなぁ)
見つかりさえすれば家路に帰り、この胃に何か収めることとてできるのに。
見つかりに行く事は簡単なのだ。
隠れ潜んでいる場から立ち上がり、フラフラと人目につく場所を歩いていれば、なんて事も無くきっと見つかる。
けれどそれは負け、つまり敗北だ。
いや違う、むしろそれは降伏だ。
諸手を上げ、自分は負けたと観念するという事だ。
それは嫌だ、それだけは嫌だ。
負けたくない。
出て行かない。
そう決めたとたん、グゥと一際大きく鳴る予兆を感じあわててまた押さえ込む。
けれど空腹感というものはいくら押さえようとしても押さえきれるものじゃない。
自分自身、腹が空いたと自覚すればした分だけ、出た所で仕方の無い唾だけがやたら口の中に溢れ出し、その度に無理に飲み下す、それでなにか空腹が少しでも紛れるわけではないというのに。
催促のように腹は鳴り、空腹感がつのっていく。
痩せ我慢をする自分は勝負に負けた訳では無い。
なのに、そのはずなのにどうしようもないほどに胸が、苦しい。
収縮する胃を両腕で締めつけ、それが痛い訳でもない、なのになぜかわびしさを感じ不思議と瞼に涙が滲む。
こぶしはいつしか硬く握り締められていて、気が付けば手の平に爪の跡が筋となり赤く残って痛かった。
自分の胃の音に気を取られ、ふと耳をそばだてると遠くから声が聞こえる……いや、あるいは鳥の鳴き声だったのかもしれないが、どちらにしても負けぬ為、意地の為、じっと隠れ息を詰めた。
1ミリも動かないように膝を抱え、その腕を蟻が歩き登ってはまた降りていく。
じっと座っていた地面の湿気が服に付き、地に付いた部分から寒さが徐々に上がってくる。
足は徐々に痺れはじめ、感覚ももうだいぶ無い。
吐く息は薄く、風に揺れる木々の葉の音に紛れて気づかれぬほどゆっくり息をした。
この場所ならきっと見つからない、そんな、妙な、自信。
それでも見つかるかもしれないという相反した妙な動悸を抱え、誰かが横を通りすぎるたび体を硬くし、抱えた腕に力を込めた。
動いているのは心臓だけで、なのに喉が苦しくなるほどに跳ねていた。

けれど、空腹を覚えた自分を自覚してしばらくしたが、どれだけ時間が経過して、待って、待って、待ったけれど、誰も私を見つけられず、そのうちこの遊びに飽きたのか、それとも用事が出来たのか、最後に残った私を置いて、結局誰も私を探しには来なかった。
もう限界だ、降伏でもいいと腹をさする。
もう見つかってもいいと、あたりに音を撒き散らして歩いたけれど、そこにはもう誰も居ず。
たどり着いた場所で、見た。
明るい部屋、夕食時、小さな机に揃って座る家族の姿。
その中に、鬼の役だったはずの子の声と影、そしてその母の笑う声。
急に心臓がさっきより高く胸を打ち……なぜだか急に苦しくなって、気が付いた時にはその場から駆け出していた。
逃げるように、振り切る様に、駆けていた。
誰も追っては来ないのに。
誰も探してはいないのに。
薄暗くなり始めた夜の暗闇は、そんな私をすっぽりとその腕の中に包み込んで……私は『夜』という名前の薄暗い湿り気を帯びた生き物へと逃げ込んだ。
そして最後まで、誰も探しには……来なかった。

 

 

私はどうしてこんなことをしているんだろう?
こんなことをしている時間なんて無いはずなのに。
不満、でもない。
疑問、というほどでもない。
軽い引っかかり程度の些細な事。
どうしてこんなことをしているのか、なぜこんなことになっているのか
なぜ断れなかったか。
『普段何をして遊んだか』
聞かれた内容はそんな事で、あまりにも唐突に聞くものだから知らず言葉に詰まっていた。
尋ねてきたのは……(まぁ、まずそういった内容を話す人は限られているのだけれど)やはり、蒼の髪のよく似合う人。
その髪と同じ色の瞳、それを自分からは覗き込めなくて、いつもこっそりと悟られないように盗み見た。
「バッカねぇー、女の子といったら着せ替えとかおままごととかそういうのに決まってんじゃん!」
ねぇすずちゃん、と両肩に手が降り明るい声と笑顔が続いて降る。
アーチェさんだ。
その足取りはいつもその時の気分を表すようで、それを知っているのは私とその当人くらいではないかと最近少し思い始めたわけなのだけれども、もしかしたら当人も気が付いていないかもしれない。
まぁ、私自身がそう思っている所で何が変わるわけでは無いけれど。
役に立つ情報で無し、何か面白い話題でも無し。
けれど本当に、草の上、枯葉の上、砂利の上に、雪の上、氷の上では時折転んだりもしていたけれど、本当に、歩くという単純な動作なだけなはずなのに、踊るように歩き、歌うように歩く。
今日も気分は上々のようで、止まってみたり跳ねてみたり、そして時々回っていたり。
表情というのは顔だけのものではないのだという事を、共に歩き、過ごして知った。
「誰がバカだ馬鹿、誰もお前みたいなのに聞いてねぇよ。もしかしたら秘境の地出身だからなんか変わった遊びとかあるかもわかんねぇじゃねぇかよ」
元々憎まれ口というのは相手にわざと嫌われるための言葉という。
けれどそれがここでは少し違う。
そういう場合もあるのだと、それもまたここで知った。
……しかしこの二人の場合、それは些細なきっかけで、寒くなり空気が乾燥する季節の微かな火花に少し似ていた。
たいした事がないだろうと放っておけば、時に大きな火事となる。
事実本当に宿屋を焼いた事もあるそうで、クラースさんがこっそり耳打ちで教えてくれた。
そういった事実の積み重ねの上、二人の言い合いが徐々にひどくなり始め、いよいよとなってしまう前に、止めるなり、風向きを変えるなりするのが定石らしい。
私はまだ、そういった実害は見ていない。
けれど遠くない未来、きっと見る事が出来るだろうとクラースさんはそう言った。
さて。
そろそろ、火が燃え移る。
話の進み方が少々きな臭くなってきた。
「なにその言い方!超感じ悪い!!イ・ン・ケ・ンって言葉がホントお似合いよね!!」
「はぁ?!陰険なのはお前の方だろ!おまけに因縁もつけてきやがる。感じが悪いのはそっちだろうが!」
言い合いをする二人の距離が、お互いが言葉を返すごとに、にじり、にじりと近くなる。
「おまけにヒステリックときたもんだ。あぁ〜、やだやだ、醜いったらねぇなぁホント」
「ちょっと待ちなさいよ!何今のセリフ?!そのヒステリックってあたしの事?!」
ちょうど空でも見上げるように頭上を仰ぐ。
橋をくぐる途中、見上げた視界に良く似ていた。
横並びに三人。
自分はちょうど真ん中で、左右に言い合うそんな二人を据えていた。
「あの……」
「お前以外に誰が他にいるってんだよ!馬鹿」
「言ったわね!!さっきから聞いてりゃバカバカバカバカうるさいのよ!あんたの方こそよっぽどッ……!!!」
「あのっ!!!」
……嵐の前の静けさ、……青天の霹靂、……どちらも違う。
時間というものを切り取ることが出来るなら、その切り取った『時間』と『時間』の間というものは一体どんな風に見えるだろう?
水にごく薄く流れた油のように、時に黒く、時に七色に光るだろうか?
訪れたのは……一瞬の、静寂。

 

 

薄く冷たい乾いた空気、それを纏った風が森の中を吹いている。
もうずっと、だいぶ前から。
朝、移動の為に道を歩きながら、ずっと背に風を感じていた。
昨日だって同じように、この背に風を感じていた。
朝も、昼も、夜でさえも、いつだって風は吹いていた。
時に歩むこの背を押し、時に道に立ち塞がって。
そして今、私の頬を柔らかく撫でた風は木の葉を揺らし落ち葉を舞わす。
うっかりしていたのだ。
風は当たれば消えるものでなく、ただ方向を変えるという事をすっかり失念してしまっていた。
変えた風向きは文字通り、今度は風の向きを変えて吹く。
当たり前のことなのに、忘れていた。
おかげで今、こうしてなぜか身を潜めている自分がいる。
喧嘩が実害に及ぶ前に、気をそらそうと風向きをうまく変えてみた……つもりが。
失敗。
一応被害から免れた点では成功と言えるのだろうけど、なんで今更、こんな……、つまりが『かくれんぼ』の真っ最中というわけで。
隠れ、潜み、誰にも気づかれぬよう事を運ぶ、暗躍をもっとも得意とし生業とする一族を相手にした『かくれんぼ』。
どうかしてるとしかいいようがない。
それでも一応は範囲を決めて遠くに行きすぎないようにと言われているが。
もうアーチェさんは見つかってしまっただろうか?
彼女が見つかれば次は必然的に私の番だ、なにしろ参加人数が鬼を含めて3人しかいないのだから。
正直今、あの時何も言わなければよかったと思っている。
大体、昔を語れるほど生きていないという説もあるが、昔の記憶なんてあまり覚えてなんかいない。
綺麗な着物を着せられて、いつも周りには誰かいて、温かな笑顔、差し伸べられた手。
そんなもの、無かった。
輪になって遊んだ記憶。
そんなもの……。
ぼんやりとした思い出を、記憶の霧から引きずり出し、並べる。
指の節々に残る傷の跡、爪の間に入った土の湿り気、ひやりと冷たい武器の感触、どろどろになるまで歩き駆けまわった足の重たさ、周囲の期待、使い物にならない自分、それから、それから、それから……。
 『帰ろう。すずちゃん見つからないし、きっともう帰っちゃったんだよ』
違う!
見開いた目にまず飛び込んだのはただ1枚の葉。
黄色いイチョウの葉が地面へとゆっくり落ちていく。
記憶を引きずり出していたつもりがいつのまにか引き込まれてしまっていた。
気づかぬ間に陰った光で、当たる風が少し、寒い。
スンと鼻をすすったとたん、本当に小さくだけれどクゥと鳴った。
同じだった。
あの時と。
 『帰ろう。すずちゃん見つからないし、きっともう帰っちゃったんだよ』
空腹はそんなに強いものではなく、寒さは少し肌寒い程度。
雲が流れ、日がまた差せば寒いと思うこともないはずだ。
わかっていた。
わかっていながら、それでも『もし』を掻き消せない。
寒い。
風が冷たい。
今日、この場所に身を潜めてからもう大分経つ。
まだ見つからない。
まだ見つけられない。
体が先まで冷えていた。
もう……探していない?
そう思うと……なんとなく鼻がツンとするのを感じたが、少し寒くなった風のせいだと思い直して、また鼻を小さくすすった。
本当は風のせいだけではなかったけれど、気が付かないフリをした。
そういうのには慣れていた。
今に始まった事じゃない。
だから前からずっと慣れていた。
行こう。
凍える指先を握り締め、足は皆が居るテントの方へ。
冷えていた。
震えていた。
凍えていた。

途中で見つかるなら、それでよかった。
慣れているなんて……嘘だった。





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