(こういう風にミントとも自然に話せればいいのにな)
ミントが波打つレンガの道を歩く頃、目指す道具屋は温かな空気と談笑に包まれていた。
「へぇ、そうなんだ。ためになるよ」
褒められた店員が頬を赤らめる。
「やだぁ。そんな、大したことじゃないですよぅ」
そう言って体をくねらせると、ポッと上気した顔をカウンターに立つ少年に向けた。

降り出したと思ったきり止まない雨は、新たな客を寄越さない。
すっかり商売あがったりだと嘆いていた店員だったが、
どうやら代わりに思わぬ幸運を自分に運んできているようだった。
普段は信仰深くない彼女だったけれど、今は神に感謝してもいいかなと思いかける程だ。
(あぁ……神様。こんな私に素敵な出会いをお与えくださりありがとうございます。
思えばここにやって来るのはいつもむさくるしい男ばっかりで。
私、こういった出会いを待っていたんです!!
しかもしっかり私の好みのタイプだなんて!
いつも健気に頑張っている私へのご褒美としか……)
そこではたと気付いた。
両手がいつの間にか胸の中央で組まれ、祈りを捧げている。
心の中でだけ神に感謝していたつもりが、どうやら実際にポーズをとって祈ってしまっていたようだ。
カウンターの向こう側では、少年が不思議そうな表情を浮かべこちらの様子を窺っている。
「あの……大丈夫? どうかした?」
その怪訝な表情に、店員は組んでいた手をパッと離す。
「やっ! やだ、なんでもないです」
その離した片方の手で、二人の間に流れる妙な空気を勢いよく掻きまわした。
そしてそれを目くらましのようにして、もう片方を口に当て、
思わず口から出掛かったよだれをこっそりと指先で押さえてみせた。
店員はそれがバレていない事をそっと確認してから、カウンターに立つ少年に目配せを送る。
丹念に化粧を重ねて伸ばしたまつ毛を強調するように、ゆっくりと何度も瞬きをしたが、
目の前の少年はキョトンとするばかりで、どうにもあまり効果が無いようだ。
ふてくされて唇の一つでも付きだしたくなる気分だが、不満の表情をあらわにするにしても
その顔を眺めてはついポッと頬が赤らんでしまう。
何度見ても自分の好みだと、うっとりと店員は見惚れていた。
少年の歳は自分とそう変わらないくらいだろうか?
赤のバンダナが、優しげな表情をキリリと引き上げる様に額に当てられ、良く似合っている。
彼が肩肘をつくようにカウンターに上半身を預けると、その柔らかそうな前髪が揺れて、
シャンプーの香りにつられ、つい彼女は身体を前に寄せてしてしまいそうになる。
面食いの彼女にしてみれば、正に生唾ものの客であり、
降り続く雨は邪魔な他の客を寄せ付けない防壁と、
傘を持たない彼をこの場所に留まらせる幸運でしか他なかった。
ただ、その幸福な時間も長く続く事は無かったのだけれども。

彼女の幸福な時間は、ドアのベルと共に終わりを告げる。







木製のドアは、どうも雨の湿気を十分に吸っているようで、ミントにはずいぶんと重く感じられた。
それでも身体の体重を預ける様にドアを押すと、
ドア先に付いたドアベルがガランガランと不思議な音を立て、
カウンターにいる二人がそれに反応してこちらを向いた。
だが二人が振り向くより早く、ミントの身体がギシリと固まる。
雨の中を通っては来たが、湿気を吸った訳でもないのに身体が軋んだ。
目の前のカウンターに乗り出すようにしている、赤いマントの姿には見覚えがあった。
見覚えがあるどころではない。
それは一瞬で誰かわかるくらい彼女には馴染み深く、
眠る前に瞼を閉じるだけで彼の輪郭や表情が思い浮かぶ程だ。
その彼がカウンターを挟んで女性に顔を近づけて、女性もまた彼に近づくように顔を近づけている。
(えっ、キ……ス?)
相手の女性の顔こそ見えないものの、
それでも自分と同じ、いや自分よりいくらか若そうな少女にミントの身体は軋み、
意識とは別の場所で身体は一切の動きを止めた。
ふい、とマントの少年が振り向く。
「あれ? ミント?」
クレスのそのきょとんとした表情に、ミントは一瞬の間を置いて、ほっと胸を撫で下ろす様に息を吐いた。
そこに立っているのは、いつも見ている通りの彼だった。
(やだ、私ったら……)
そうして開けたままのドアから手を放す。今度は身体は軋まない。
一瞬固まった身体の節々が徐々に戻るのを感じながら、
ミントの後ろでドアは重さを奏でながらゆっくりと外と中を隔ててゆく。
その鳴る音をバックに、クレスの影に丁度隠れる様に立っていた少女がひょこっと顔を覗かせた。
瞳が小鳥のさえずりのようにぱちぱちと歌を歌っている。
身体はミントより小柄で、華奢ではないが健康的な体つきをしているように見てとれた。
特徴的な長いまつ毛は彼女のクリクリとした目を縁取って引き立てている。
明るく、はきはきとした声が似合いそうなぷっくりとした唇。
じっと眺めるミントに負けじと、更にじぃっと値踏みでもするような目つきをして、
店員はミントの頭の先から足の先までを舐めまわすように眺め、
ハッキリとした輪郭の目を更に大きく見開いて、
頬に、髪に、そして痛みを感じる程の視線でじっとミントの胸を凝視した。
そして確認するようにこっそりと彼女自身の胸にも視線を走らせていたが、
それにミントは気づかない。

そうして全て測り終え、きょときょととクレスとミント、二人の顔を交互に眺め、
最終的にさもつまらなさそうに「いらっしゃいませ」とやる気無げに呟いた。
その様子に、なんとなくミントは顔を伏せる。
しかしクレスは相変わらず、その少女の変貌にもミントの若干の変化にも、
特に何も引っ掛かるものすら無かったようで
「あれ? どうしたの? ミントも買い物?」とすっかりカウンターからミントに向き直り、
あっけらかんと言葉を発した。
「あ、いえ」ミントが顔を上げる。
「雨が降ってきたのでクレスさんをお迎えに」
そうやって顔を上げるとクレスの背後の店員の視線がこちらに向いて、チクリとした痛みがミントに刺さる。
「良かったですねぇ、お迎え来て」
店員は片手で頬づえをつき、長く長く息を吐き出す。
息はクレスの横を通り抜け、ミントの近くまで辿り着くようだ。

「雨、ひどくなるかもしれないんで、早く帰った方がいいですよ」
やる気を無くした店員が、ほらと顎で外を指す。
雲はこれだけの雨水を絞り出しているというのに、まだ尽きるという事を知らないようだ。
相変わらず雨は勢いの変わる様子すら見せず降り続く。
雲は動いているのだろうか?
クレスがそっと窓から覗くが、相変わらず空はまだ暗いままだった。
「本当だね」
頷いて、店員に向かって笑顔を向ける。
「どうもありがとう」
ミントには慣れた、いつもの笑顔だ。
しかしそれを受けた店員の頬が、ポッと瞬時に上気した。
それにどこか引っ掛かりを感じずにはおれなかった。
「どういたしまして」と、嬉しそうに手をひらひらとするのも引っ掛かる。
思いついた推測は、ひとつ。
(この人、もしかしてクレスさんの事……)
その核心にとてつもなく近い推測にごくりと喉元を鳴らすのと同時に、
不意にクレスがこちらを振り向いて、ミントの鼓動が小さく跳ねた。
「ミントは買い物とか、良かった?」
喉を鳴らして落とした唾が、ゆっくりと喉元を通過してゆく。
「あ、はい。私は特には」
「そっか。じゃあ、行く?」
クイ、とクレスが入り口のドアを親指でさした。
「あ、……えっと、じゃあこれ、使ってください」
そう言ってミントは、片方の腕にかけていた傘を取りクレスに差し出す。
アーチェから手渡された薄灰色の傘だ。
それをクレスは素直に受け取る。
「ありがとう」
さらり、と前髪が揺れてクレスがにっこりと目を細める。
それだけで、ミントはポッと頬を赤らめそうになる。
しかし視界に、両腕で顔を重たそうに支えた店員のさもつまらなそうな顔が映ったので
それもどこかにすぅっと消え去って行ってしまった。
胸にはどこか居心地の悪い、罪悪感だけがしこりのように残っていた。





そうして湿り気を十分に含んだドアをもう一度押し外に出て、
傘を並べて帰るはずの二人に思わぬ事がそこで起こった。
「あれ……? おかしいな……」
クレスの手には薄灰色の『あの傘』が。

にんまりと笑ってアーチェが渡したあの傘が。

なにも起こらない訳は無かった。











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本人気付いていませんがクレス、モテモテです。
誰に対しても彼はきっと好感度が高いですよね。

(2009/8/19 up)